秋の薩摩切子展
9月16日(土)より、浅草合羽橋本店では「秋の薩摩切子展」を開催。鹿児島県の「薩摩ガラス工芸」と「美の匠 ガラス工房 弟子丸」をご紹介します。1階は、歴史を受け継ぐ「正統」の島津薩摩切子2階は、現代における「革新」の弟子丸薩摩切子薩摩切子の両雄と言える2つの工房を特集。この記事では、薩摩切子の魅力に先んじて薩摩切子の誕生と衰退、復活の物語に目を向け思いを馳せていただければ幸いです。 幕末に誕生、30年で途絶えた幻の切子 薩摩切子は、幕末の薩摩藩で誕生しました。厚い色被せ(いろきせ)ガラスに「ぼかし」と呼ばれるグラデーションが魅力の切子です。 1846年、薩摩藩のガラス製造は薬瓶からはじまり、1851年、島津斉彬が藩主になると飛躍的に発展。斉彬が集成館事業の一環とし海外交易を視野に入れ美術工芸品としての「薩摩切子」が誕生しました。 1858年、49歳でこの世を去った島津斉彬の死後、集成館事業の縮小、薩英戦争での集成館砲撃、幕末維新から西南戦争の動乱を経て明治初頭、薩摩切子はわずか30年で途絶えてしまいました。 島津家が中心となり復元 薩摩切子の終焉から100年ほどが過ぎた1982年鹿児島の百貨店での展覧会がきっかけとなり、薩摩切子復元の機運が高まってきました。そして1985年4月、薩摩ガラス工芸株式会社(現在は株式会社島津興業に統合)を設立、薩摩切子の復元事業が始まりました。復元に向けての研究や工場の建設を経て、1986年より工場を稼働、製造を開始しました。 このように途絶えた薩摩切子の復元と現在において島津斉彬の集成館にルーツを持つ島津興業による「薩摩ガラス工芸」は中興の祖と言えるでしょう。 鹿児島県の伝統工芸品に指定 「島津薩摩切子」と「 美の匠 ガラス工房 弟子丸」は鹿児島県指定の伝統的工芸品に選ばれています。 日の丸に桜島と伝統の伝をかたどったその証は、現在、鹿児島で6社がその指定を受けています。 現在進行形で伝統を創造しつづける 今回ご紹介する「美の匠 ガラス工房 弟子丸」の弟子丸努さんは、1985年に薩摩ガラス工芸(現在は株式会社島津興業に統合)に入社し薩摩切子の復元事業に当初から8年携わりました。後に「薩摩びーどろ工芸」の設立を経て独立。 2006年に「薩摩びーどろ工芸」が発表した「黒薩摩切子」の開発の立役者となりました。復刻の礎を守りながらも、革新的表現を追い求め、自由な発想と故郷の「霧島」への思いを込め、薩摩切子の魅力をさらに拡張させています。