浅草合羽橋本店

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ADDRESS

〒111-0035 東京都台東区西浅草2丁目5-4

2-5-4 Nishiasakusa, Taito-ku, Tokyo

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OPEN

10:00 - 17:30

TEL

03-6555-2270

ACCESS

東京メトロ銀座線「田原町駅」3番出口下車 徒歩7分
つくばエクスプレス「浅草駅」B出口下車 徒歩6分
銀座線など各線「浅草駅」3番出口下車 徒歩10分

Tokyo Metro Ginza Line "Tawaramachi Station" Get off at Exit 3, 7 minutes on foot
Get off at Tsukuba Express "Asakusa Station" Exit B, 6 minutes on foot
10-minute walk from Exit 3 of Asakusa Station on the Ginza Line and other lines

お店からの更新

美の匠 ガラス工房 弟子丸│薩摩切子

TSUCHI-YA│ガラスの器と工芸では、鹿児島にある2つの工房の協力により薩摩切子のお取扱いを開始いたします。今回ご紹介するのは鹿児島県霧島市の「美の匠 ガラス工房 弟子丸」です。 神話や伝説に彩られた霧島 日本百名山の霧島山と桜島が浮く錦江湾の中間に位置する「ガラス工房 弟子丸」は山と海の自然に恵まれた場所にあります。主宰の弟子丸努さんが生まれ育ち独立したそんな霧島の地を私たちは訪れました。 霧島連山の麓で清浄な空気に包まれている「霧島神宮」も工房から車で約30分。雨の参道は、空気が涼しく神秘的でした。 霧島温泉郷から霧島神宮に向かう国道223号沿い丸尾滝(まるおのたき)の滝見スペースで深呼吸。静かな場所で気持ちの良い時間を過ごせます。 遠浅で波も静かな錦江湾の海岸は霧島錦江湾国立公園に指定される我が国最初の国立公園の一つと言われています。 四季折々に神秘的な自然美を見せるこの霧島の地で 弟子丸氏が率いる工房が、削り、磨き上げる薩摩切子の魅力にいよいよ迫っていきます。 刹那の技を現代で継ぐ切子師 弟子丸努さんは薩摩切子復刻1期生として「薩摩ガラス工芸(現:島津興業)」に入社、「薩摩切子」の復元に携わり、貢献されました。その伝統をトレースする確かな技術を携えて切子師である弟子丸さんが次に選んだ道は、「薩摩切子の新たな価値を創造する」道でした。   不可能と言われた黒切子の誕生 2006年、黒切子(霧島切子)を発表。 『鹿児島には黒豚、黒牛、黒糖、黒酢が あるのだから、黒い切子をやってみないか。』と当時の上司に勧められたのがきっかけ。 しかし、光を通さない黒ガラスは透かして刃が見えないことから、切子加工は不可能と当時は思われていました。 弟子丸さんは、手が自然に自分が求める方向へスーッと動くまで長い時間、同じ作業を繰り返し手と刃が同化する感覚まで技を磨きました。 そんな弟子丸さんの異次元の苦労の末に、「薩摩黒切子」は生み出されたのです。 名入れができる「霧島切子」を考案 弟子丸さんの勢いは止まることを知りません。これまでにお客様のご要望が多かったけれど薩摩切子の伝統を重んじ断ってきた「名入れ」。お客様の声になんとか応えたいと考えた結果、「霧島切子」という新ブランドで実現させます。確かな技術で薩摩切子の伝統を継承しつつも、現代においても見る者を魅了しつづける弟子丸さんのこの姿勢に私たちは共感しました。 伝統があるからこそ際立つ革新 新しい色で薩摩切子、さらには切子業界に新風を巻き起こしてきた弟子丸さん。小樽の吹きガラス工房「KIM GLASS DESIGN」と「琥珀」「オリーブ」などの新色を共同開発。薩摩切子の再解釈に命を燃やし続けています。弟子丸さんの存在を「革新」と表現できるのは、島津薩摩切子の「正統」があってこそではないか。そして、その両雄が現在進行形で薩摩切子の歴史を刻んでいる今を、この目で確かめられた旅でした。オンラインでの購入はこちら。

薩摩ガラス工芸│島津薩摩切子

TSUCHI-YA│ガラスの器と工芸では、鹿児島にある2つの工房の協力により薩摩切子のお取扱いを開始いたします。今回ご紹介するのは鹿児島県鹿児島市の「薩摩ガラス工芸 島津薩摩切子」です。 薩摩切子の歴史は島津の歴史 薩摩切子を語る上で決して外すことのできない島津家とその硝子事業の中心地を訪れました。島津家が中心となり取り組んだ薩摩切子の復元。その中心となった会社が「薩摩ガラス工芸」で「島津薩摩切子」はブランド名称となります。 島津薩摩切子の「薩摩切子工場」は世界文化遺産の構成資産に登録された「仙巌園」に隣接しています。 桜島を築山に錦江湾を池に見立てた名勝仙巌園は大河ドラマ「西郷どん」の撮影地でもありました。 国の有形文化財にも指定されている 白い木造 「磯工芸館」は島津薩摩切子の直売店舗であり工場が併設され、無料で見学が可能です。 磯工芸館に足を踏み入れるとまるで宝石店のよう。商品が並ぶ白いテーブルは、「復元」や「二色衣」など、シリーズ毎に見やすく整理されています。 未来を見据え組織化されたつくり手集団 薩摩ガラス工芸は、生地作りから切子加工まで一貫して生産する日本で数少ない切子工房のひとつとして、成形、カット、磨きの職人32名が在籍しています。(2023年9月現在)現在進行形で伝統を築いている薩摩切子の世界。将来を見据え新卒採用と人材育成も大切です。平均年齢は30歳前後ですが、高卒入社の職人は20代で既に10年以上経験を積む職人もいます。 薩摩切子復元の立役者 薩摩ガラス工芸の若き職人たちを牽引するのは、薩摩切子の 復元及び制作における第一人者である「中根櫻龜( なかね おうき)」さん。出身は兵庫県尼崎市、武蔵野美術短期大学を卒業。後に「東京ガラス工芸研究所」に入所、卒業直前に鹿児島県からの薩摩切子復興の人材派遣要請に、同研究所の推薦をうけ、薩摩切子に携わることに。最初は一人で全てが手探りの状態、資料の検証と実物の実測から 必要な工具を考えるなど中根氏の気が遠くなるほどの尽力がなければ、100年も途絶えていた薩摩切子を復元することは出来なかったと言われています。 鮮やかで澄んだ色の美術工芸品 島津薩摩切子はとても鮮やかで澄んだ色が特徴。さらにグラデーションによる「ぼかし」表現はシャープな美しさをもつヨーロッパのガラスや、江戸切子とは、対照的な魅力でもあります。   薩摩切子の新しい表現「二色衣」 2001年、新しい色彩が生まれました。『2色被せ』技法により、薩摩切子の鮮やかな2色を重ねたガラス生地をカットすることによって、染め物のような「色の濃淡」が表現されました。 「薩摩切子の歴史を絶対途絶えさせてはならない」「100年後も素敵だと思われる品格あるデザイン」中根さんの言葉は、薩摩切子の「正統」を伝える私たちつなぎ手に、託された言葉と思っています。 オンラインでの購入はこちら

篠原風鈴本舗│江戸風鈴

 TSUCHI-YA│ガラスの器と工芸では、日本の四季や年中行事など一年を通してガラスを愉しむご提案を企画。今回は日本の夏の風物詩「風鈴」をご紹介します。    ガラス風鈴の老舗「篠原風鈴本舗」 私たちが訪れたのは篠原風鈴本舗さん。国内に二ヶ所しかない江戸風鈴工房の一つです。今回は江戸川区の工房にお邪魔して、江戸風鈴の魅力を伺ってきました。   江戸風鈴の音色へのこだわり ガラスの棒が当たって音のなる鳴り口。江戸風鈴は鳴り口をわざとギザギザに仕上げます。ガラスの振り管が擦れるだけで音が出るのが特徴。ガラス同士の衝突音よりも優しく、音が揺れ、一定ではなく、綺麗な音がします。一つ一つが職人の手作りなので、同じ形でも大きさや厚みに個体差があり、一つとして同じ音はありません。   江戸時代から変わらない製法 江戸時代から変わらず、「宙吹き」で作られる江戸風鈴。型を使わずに膨らます製法ゆえに、一つひとつ異なる厚みや大きさがそれぞれの個性のある音色を生み出します。   風鈴の起源 風鈴自体の起源は中国にあり、現代とは全く違う使い方でした。竹林に下げて風の向き・音の鳴り方で、物事の吉凶を占う占風鐸(せんふうたく)と言う道具が起源です。日本に仏教などと一緒に渡来、この風鐸の「ガランガラン」という音が厄除けになると考えられていました。(篠原風鈴本舗HPより引用)現在は夏の風物詩とされる風鈴ですが、もとは1年を通して親しまれていたものでした。諸説ありますが、風鈴が夏に定着したのはシダを這わせて玉状にした「吊りしのぶ」という日本の夏を彩る文化の影響という説も。夏にしかない吊りしのぶに風鈴をぶら下げる。それで夏のイメージがついたのかもしません。古くからの文化を繋いでいくとともにTSUCHI-YAでは、季節を問わず楽しめる風鈴を今後お届けできればと考えています。   「夏の音がするガラス展」では、オリジナルの江戸風鈴だけでなく、夏に活躍すること間違いなしの作品をご用意。涼しげなガラス工芸で、暑い夏の下準備を。オンラインでの購入はこちら  

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