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美の匠 ガラス工房 弟子丸│薩摩切子

TSUCHI-YA│ガラスの器と工芸では、鹿児島にある2つの工房の協力により薩摩切子のお取扱いを開始いたします。今回ご紹介するのは鹿児島県霧島市の「美の匠 ガラス工房 弟子丸」です。 神話や伝説に彩られた霧島 日本百名山の霧島山と桜島が浮く錦江湾の中間に位置する「ガラス工房 弟子丸」は山と海の自然に恵まれた場所にあります。主宰の弟子丸努さんが生まれ育ち独立したそんな霧島の地を私たちは訪れました。 霧島連山の麓で清浄な空気に包まれている「霧島神宮」も工房から車で約30分。雨の参道は、空気が涼しく神秘的でした。 霧島温泉郷から霧島神宮に向かう国道223号沿い丸尾滝(まるおのたき)の滝見スペースで深呼吸。静かな場所で気持ちの良い時間を過ごせます。 遠浅で波も静かな錦江湾の海岸は霧島錦江湾国立公園に指定される我が国最初の国立公園の一つと言われています。 四季折々に神秘的な自然美を見せるこの霧島の地で 弟子丸氏が率いる工房が、削り、磨き上げる薩摩切子の魅力にいよいよ迫っていきます。 刹那の技を現代で継ぐ切子師 弟子丸努さんは薩摩切子復刻1期生として「薩摩ガラス工芸(現:島津興業)」に入社、「薩摩切子」の復元に携わり、貢献されました。その伝統をトレースする確かな技術を携えて切子師である弟子丸さんが次に選んだ道は、「薩摩切子の新たな価値を創造する」道でした。   不可能と言われた黒切子の誕生 2006年、黒切子(霧島切子)を発表。 『鹿児島には黒豚、黒牛、黒糖、黒酢が あるのだから、黒い切子をやってみないか。』と当時の上司に勧められたのがきっかけ。 しかし、光を通さない黒ガラスは透かして刃が見えないことから、切子加工は不可能と当時は思われていました。 弟子丸さんは、手が自然に自分が求める方向へスーッと動くまで長い時間、同じ作業を繰り返し手と刃が同化する感覚まで技を磨きました。 そんな弟子丸さんの異次元の苦労の末に、「薩摩黒切子」は生み出されたのです。 名入れができる「霧島切子」を考案 弟子丸さんの勢いは止まることを知りません。これまでにお客様のご要望が多かったけれど薩摩切子の伝統を重んじ断ってきた「名入れ」。お客様の声になんとか応えたいと考えた結果、「霧島切子」という新ブランドで実現させます。確かな技術で薩摩切子の伝統を継承しつつも、現代においても見る者を魅了しつづける弟子丸さんのこの姿勢に私たちは共感しました。 伝統があるからこそ際立つ革新 新しい色で薩摩切子、さらには切子業界に新風を巻き起こしてきた弟子丸さん。小樽の吹きガラス工房「KIM GLASS DESIGN」と「琥珀」「オリーブ」などの新色を共同開発。薩摩切子の再解釈に命を燃やし続けています。弟子丸さんの存在を「革新」と表現できるのは、島津薩摩切子の「正統」があってこそではないか。そして、その両雄が現在進行形で薩摩切子の歴史を刻んでいる今を、この目で確かめられた旅でした。オンラインでの購入はこちら。

薩摩ガラス工芸│島津薩摩切子

TSUCHI-YA│ガラスの器と工芸では、鹿児島にある2つの工房の協力により薩摩切子のお取扱いを開始いたします。今回ご紹介するのは鹿児島県鹿児島市の「薩摩ガラス工芸 島津薩摩切子」です。 薩摩切子の歴史は島津の歴史 薩摩切子を語る上で決して外すことのできない島津家とその硝子事業の中心地を訪れました。島津家が中心となり取り組んだ薩摩切子の復元。その中心となった会社が「薩摩ガラス工芸」で「島津薩摩切子」はブランド名称となります。 島津薩摩切子の「薩摩切子工場」は世界文化遺産の構成資産に登録された「仙巌園」に隣接しています。 桜島を築山に錦江湾を池に見立てた名勝仙巌園は大河ドラマ「西郷どん」の撮影地でもありました。 国の有形文化財にも指定されている 白い木造 「磯工芸館」は島津薩摩切子の直売店舗であり工場が併設され、無料で見学が可能です。 磯工芸館に足を踏み入れるとまるで宝石店のよう。商品が並ぶ白いテーブルは、「復元」や「二色衣」など、シリーズ毎に見やすく整理されています。 未来を見据え組織化されたつくり手集団 薩摩ガラス工芸は、生地作りから切子加工まで一貫して生産する日本で数少ない切子工房のひとつとして、成形、カット、磨きの職人32名が在籍しています。(2023年9月現在)現在進行形で伝統を築いている薩摩切子の世界。将来を見据え新卒採用と人材育成も大切です。平均年齢は30歳前後ですが、高卒入社の職人は20代で既に10年以上経験を積む職人もいます。 薩摩切子復元の立役者 薩摩ガラス工芸の若き職人たちを牽引するのは、薩摩切子の 復元及び制作における第一人者である「中根櫻龜( なかね おうき)」さん。出身は兵庫県尼崎市、武蔵野美術短期大学を卒業。後に「東京ガラス工芸研究所」に入所、卒業直前に鹿児島県からの薩摩切子復興の人材派遣要請に、同研究所の推薦をうけ、薩摩切子に携わることに。最初は一人で全てが手探りの状態、資料の検証と実物の実測から 必要な工具を考えるなど中根氏の気が遠くなるほどの尽力がなければ、100年も途絶えていた薩摩切子を復元することは出来なかったと言われています。 鮮やかで澄んだ色の美術工芸品 島津薩摩切子はとても鮮やかで澄んだ色が特徴。さらにグラデーションによる「ぼかし」表現はシャープな美しさをもつヨーロッパのガラスや、江戸切子とは、対照的な魅力でもあります。   薩摩切子の新しい表現「二色衣」 2001年、新しい色彩が生まれました。『2色被せ』技法により、薩摩切子の鮮やかな2色を重ねたガラス生地をカットすることによって、染め物のような「色の濃淡」が表現されました。 「薩摩切子の歴史を絶対途絶えさせてはならない」「100年後も素敵だと思われる品格あるデザイン」中根さんの言葉は、薩摩切子の「正統」を伝える私たちつなぎ手に、託された言葉と思っています。 オンラインでの購入はこちら

大切な人に特別な江戸切子

入社・転職・人事異動。春から初夏には出会いや挑戦する人が増える時期。家族や兄弟、親友、お世話になっている先輩など、大切な方の節目にギフトを探すこともあるはず。 そんな特別なギフトとして選ばれる一つが江戸切子。その特別な贈り物に相応しい魅力をご紹介します。 唯一無二の華やかな伝統工芸品 切子とは、ガラスの表面をカットする技術のこと。江戸切子では、伝統的文様が刻まれるが特徴です。専用の機械を使い直線や曲線を掛け合わせ、一つひとつ江戸切子の伝統工芸士が施していきます。ときに繊細に、ときに大胆に。同じ伝統文様を用いても、全く同じデザインでも、職人のさじ加減で仕上がりは異なり、世界に一つとして同じものはありません。その唯一無二の逸品であることが、江戸切子が特別なギフトに選ばれる理由の一つです。 このような高い技術によって生まれる江戸切子は、日本の伝統工芸の一つ。職人から職人へ受け継がれてきた仕事は、身近に手にできる芸術品と言えるかもしれません。世界中にコレクターも多数。目効きの方や、拘りのある方に喜ばれるはずです。   その存在感が魅力の色切子 次に、もう一つの魅力は江戸切子の「色」です。江戸切子は、色被せと透きの2つに分けられます。切子のガラス色にはいくつか種類があり、様々な色の江戸切子が存在、流通しています。透き、金赤、瑠璃色、緑、黒、青紫、黄色、赤色、青同じ文様でも色で印象が変わり、同じ色でも濃淡が異なります。また技術的にカットが難しい「黒」は値段が高く、色の違いによって価格にも大きく影響してきます。  色切子はこちらから ドリンクが映える透明の切子 TSUCHI-YAでは珍しい色切子に加え、透明の切子の種類に、どこよりも拘っています。なぜならばギフトで有名なバカラグラスなどが好まれる理由の一つに「お酒の色を楽しみたい」というお客様の声がよく挙げられるからです。さらにカットデザインも日本的な模様だけでなくインテリアのテイストにあったモダンさやデザインを求めらることも少なくありません。透明のガラスはその伝統模様に感じる和テイストが柔らぎ、お酒を選ばない汎用性も生まれます。透明切子はこちらからこのように、江戸切子の魅力は色の有無に関わらず、職人技が光るハンドメイドの一点ものです。その中でもTSUCHI-YAが厳選した作品たちはその人のお飲み物やインテリアの嗜好性にあわせて選んでいただければ、皆様の大切な方にきっと喜んでいただける至高の逸品揃いです。

江戸切子ができるまで

うつわやグラス、花瓶など、さまざまな形状の「江戸切子」。その美しさは、大変な手間と高い技術の賜物。ここでは、クリスタルガラス製の江戸切子ができるまでの流れと、繊細な仕事に込められた職人の想いをご紹介します。

新商品│切子のガラスペン

2022年11月11日(金)からガラスペンがTSUCHI-YAオリジナル商品に加わります。 「ガラスペン 三角」は断面が三角のガラス管を元に、炎でガラスを溶かす技法「バーナーワーク」で軸をつくり、ペン先をつけています。デザインは3種類。極細の縞模様をカットで表現した「切子」。均等に2回、割れないように繊細なねじりを入れた「螺旋」。格子状の切子模様と中央の結び目のようなねじりが特徴の「切子螺旋」。全てが手作業で、職人技が光る逸品です。 (写真、左側から)「切子」...繊細なしま模様をカッティング。「螺旋」...丁寧に2回のねじりを入れた匠の技が光る逸品。「切子螺旋」...上部に施された格子状のカットとねじりが特徴。   職人が手作業で丁寧に作る一点モノ。浅草合羽橋本店で試し書きが可能です。   「手になじむ三角軸&軽さと耐久性に優れた硬質ガラスを使用」 実用性にもこだわりが。三角の形状が手にすっとなじみ、持ちやすいのが特徴です。素材には、実験器具などにも使われる、軽さと耐久性に優れた硬質ガラス「硼珪酸ガラス」を採用。最小モデルで14グラムと軽量。   「土屋鞄の元ランドセル職人がデザイン」 新商品「ガラスペン 三角」のデザインを担当した、ガラス職人 駒﨑裕太郎(こまざき・ゆうたろう)(27 歳)。元々は土屋鞄のランドセル職人。新商品「ガラスペン 三角」で使う「ホウケイ酸ガラス」は、その硬さゆえ、加工する際の力加減が難しく、切子ではあまり使われない素材。駒﨑は、バーナーワークで磨かれることでカット面が滑らかになることを想定し、鋭いカッティングを丁寧に入れています。駒﨑は、「革は傷つきやすく、ガラスは割れやすいため、どちらも丁寧に扱わなければいけません。ランドセル製造で培った細かい部分まで気を配り、丁寧に扱う姿勢を、ガラス器の制作にも生かしたい」と話しています。   「ガラスペン 三角」商品詳細 商品名:ガラスペン三角/切子 価格:¥9,900(税込)サイズ:H145-150mm × Ø10mm重さ:約17g素材:ホウケイ酸ガラス ご購入はこちら 商品名:ガラスペン三角/螺旋 価格:¥13,200(税込)サイズ:H130-135mm × Ø10mm重さ:約14g素材:ホウケイ酸ガラス ご購入はこちら 商品名:ガラスペン三角/切子螺旋 価格:¥11,000(税込)サイズ:H130-135mm × Ø10mm重さ:約15g素材:ホウケイ酸ガラス...

シンプルな文様に込められた切子の職人技

ガラス生地に、職人が一つひとつカットを施していく「江戸切子」。繊細できらびやかな美を形にするため、職人は、くる日もくる日も江戸切子と向き合い、その腕やセンスを研きます。 工房や職人によるスタイルがあり、作品を一目見ただけで誰が手がけたかわかる職人もいるほど。また、どれだけ経験を重ねても、それに甘んずることなく、目の前のガラス生地をいかに美しく仕上げるかを考え、手を動かす。厳しくもすばらしい、その世界。 ここでは、唯一無二の江戸切子に欠かせない“職人”を取り巻くストーリーをご紹介します。 「江戸切子」の特徴といえば、伝統文様を始めとする様々な文様のカットです。複数を組み合わせる場合が多いですが、中には一つの文様で、ストイックに表現されるものもあります。 たとえば「室町硝子工芸」で、2020年の冬から手掛けているオリジナル商品もそう。初めて江戸切子を手にする方や、日本の伝統工芸品に触れたことのない方にも手にしていただきやすいようにと、一つの伝統文様で仕上げるシンプルでモダンな意匠を目指しています。 オリジナル商品の第二弾であるロックグラスとタンブラーの「唯千(ゆいせん)」も、その一つ。デザインは、着物などの染め物に用いられる「千筋(せんすじ)」から着想を得ました。 職人は「ダイヤモンドホイール」と呼ばれる専用の機械を使用し、約3mm間隔で均一にカット。スッスッと縦に伸びるラインは、光を受けると、凛とした涼やかな光を放ちます。手がける職人曰く、この一定に淀みなくカットしていく技術こそ、もっとも難しくて美しさにつながる大事なポイントです。 「唯千」は、職人が手を動かさねば、こうは輝きません。それには二つ、大きな理由があります。 一つは、一見同じように見えるガラス生地には、形や厚みに僅かな差があります。なぜなら、江戸切子のガラス生地は、一つひとつ専門の職人が息を吹き込みつくっています。そのため、どうしても個体差が出てくるのです。個体差を活かしつつ、美しいカットを施すことも、熟練の手仕事がなせる技。江戸切子の職人は、それぞれのガラス生地に合わせて微妙な加減でカットを施し、両方の魅力が最大限に生かされた仕上がりを追求します。 もう一つは、手仕事ならではの、エッジの効いたカットです。実は、機械の場合はこうはいきません。というのも、グラスの表面に模様をつける場合、機械では「プレス加工」といい、様々な溝が刻まれた金型に水飴状の熱いガラスを流し込んで成形します。高温のガラスは粘度が非常に高いため、あまり細かな金型では溝の奥までガラスが入り込まず、どうしても丸みを帯びた角に仕上がります。「唯千」の場合、約3mmと細かく均一なシャープさを表現したいため、職人の手仕事が必須なのです。 この一定に刻まれる細かな縞模様は、少しでも手元が揺らぐと台無し。だから職人は、まるで息を殺すように、グッと集中しながら作業しています。その努力と、高い技術があってこそ「唯千」の追求する美しさは形になるのです。 手に取り、眺める時間もよろこびになるような江戸切子。そこには、静かな情熱に燃える職人の存在がありました。

江戸切子のルーツ

日本でのはじまりと発展 職人たちの手で、一つひとつ刻み、育まれてきた「切子(Kiriko)」。そのルーツは、ヨーロッパからもたらされたカットガラスです。美しい文様の刻まれた、透明なガラスのうつわーー。その姿に人々は魅了され、国内でも製造しようと、17世紀ごろに長崎で製造がはじまったといわれています。その後、技法は京都・大坂を経て、江戸へ。 江戸で切子が本格的につくられるようになったのは、江戸時代後期の1834年ごろ。現在の、東京都中央区日本橋地域にあった、江戸大伝馬町。ビードロ屋「加賀屋」の加賀屋久兵衛(かがや・きゅうべえ)が、ガラスに切子細工を施したのがはじまりなのだとか。久兵衛は、ガラス瓶に切子を施し、来航していたペリー提督に献上。その技術のすばらしさを称賛されたというエピソードをもちます。 当時は、金属製の棒状工具などに、金剛砂(こんごうしゃ)という石を砕いた研磨剤を水でつけ、手動で削っていたそうです。また、現存する「加賀屋」の包装紙を兼ねたカタログチラシ「引札(ひきふだ)」には、銘酒瓶、脚付きコップ、文具揃などの切子が描かれています。そこからは、細かい正方形を縦横に連続させた「霰(あられ)」など、シンプルな文様が人気を集めていた様子が伺えます。これらは江戸切子の前身といえます。 加賀屋久兵衛の引札   明治時代に入ると、国も製造に乗り出しました。1873年に設立したガラス工場「品川工業社硝子製造所」(現在の東京都品川区北品川4丁目)を、1876年に官営化。「品川硝子製作所」と改名し、技師を雇い入れ、洋式のガラス製造方法の指導にあたらせます。 1879年、イギリス人技師のゼームス・スピード氏の指導で、食器製造をテスト。1881年には、同じくイギリス人技師のエマニエル・ホープトマン氏を招き、回転工具による洋式のカット技術が伝えられます。ホープトマン氏から、10数名の日本人が指導を受けたとされ、その弟子から日本の切子産業を支える職人が育っていきました。また、このころに、現在の江戸切子に通づるカット技術が確立。ガラス製うつわの普及もどんどん進みます。 大正時代に入ると、使用するガラス素材の研究や、クリスタルガラスの研磨技術を開発。江戸切子の品質は、ますます向上していきました。       庶民と切子 さらに、大正から昭和初期にかけては、工芸ガラスといえば「カットガラス」といわれるほど、急成長。技術革新や産業構造の変化にともない、切子の生産はますます拡大していきます。大正文化や昭和モダンなど、和洋折衷の市民文化が花開いた当時。アール・デコ様式のようなモダンな「色被せ(いろきせ)」ガラスの食器が人気を集め、「切子といえば高級品」。「切子といえば色被せガラス」というイメージが、庶民にも拡まっていきました。 そして時代は、戦争へーー。日本でも、戦地へ駆り出される職人が多く、衰退する産地や工房もありました。また、ガラスも軍需用品として集められ、たいへん貴重なものに。さらに飛行機の窓ガラスなどが急務で必要になったため、職人や工房の中にはそうした仕事につく人たちも。切子の生産は、一時的に縮小します。 しかしその中でも、職人の火は途絶えることなく、燃え続けました。戦後、もののない時代から一転。アメリカ軍の進駐もあり、食器やグラスなどのガラス製品の大量需要が起こったそうです。また、高度経済成長の波もあり、景気は回復。少しずつ、切子に携わる職人や工房に元気が戻ってきました。 その後、「江戸切子」は、1985年に東京都伝統工芸品に指定。平成に入り、2002年には国の伝統的工芸品に指定されました。時流に寄り添いながら、昔から変わらず、一つひとつ人の手で刻まれてきた切子。現在でも、ホープトマン氏の流れをくむ職人たちが、東京都江東区を中心に、つくり続けています。  江戸切子職人・小林菊一郎氏 昭和30年代に撮影(画像提供:小林硝子工芸所)   名称のルーツ 元をたどると、1781年に蘭学者・大槻玄沢(おおつきげんたく)の書いた『蘭説弁惑(らんせつべんわく)』に見られます。さまざまな西洋の文物を挿絵付きで解説した一冊で、「硝子諸器」に「びいる・がらす」なる図があり、添えられているのは「形猪口のことし 俗にきりこ手 金ふちなとよふものあり」という一文。また、この他にも記述があり、カットガラスを「きりこ手(様)」と称しています。 1818〜1829年ごろの発行とみられる「加賀屋」の包装紙を兼ねたカタログチラシ、引札(ひきふだ)には、図と合わせて「切子鉢」「切子皿」などと表現。これにより、「きりこ手(様)」が「切子」に変化したことがわかります。 大正初期の文献には「切子細工」と記されたものが多く、「江戸切子」という呼び名の発祥については諸説あり。言葉が一般的になったのは、戦後だそうです。一つあるとすれば、1985年の都の伝統工芸品指定。これにより、東京でつくられたカットガラスを中心に「江戸切子」と指定するようになりました。

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